イベント概要
2026年5月9日、伊那市立高遠町図書館で「ちなみに」石仏雑学トークライブが開催された。
主催は伊那市地域おこし協力隊員の山本祐介である。
目的は高遠石工と石造物の広報、地域ブランディング、参加者が雑学を会話素材として活用し地域文化への関心を高めることだった。
参加者は石仏・石工に関心のある市民約40名で、テーマ例として「高遠石工とは?」や「お気に入り石仏」などが設定された。
主催者の紹介
山本祐介はイベントの企画・主催を担当し、SNSで漫画『いなぽとけ』を連載して情報発信を行っている。
彼は高遠石工の作品が髪・爪・歯まで繊細に彫られ、肌や袈裟の質感が表現されていると解説した。
登壇者と発言内容
北原紀孝(前伊那市文化財審議委員会委員長)
- 石の加工は生活の営みそのものとし、高遠石工は家屋建設や水路作りなど生活基盤を支える出発点であると説明した。
- 建福寺にある守屋貞治作「願王地蔵尊」を「石とは思えない柔らかさを感じる仏像」と紹介した。
福澤浩之(高遠町歴史博物館学芸員)
- 文字碑は深く彫る技法を用い、風化しても文字が残りやすいと説明した。
- 文字碑は自然石の形状を活かした唯一無二のデザインになると述べた。
- 守屋貞治は制作時に「自然に地蔵像が現れる感覚」で彫っていたと解説した。
井上直人(信州大学名誉教授)
- 高遠は日本で石臼作りに最も力を入れた地域の一つであり、石臼はそば粉製造に重要であると説明した。
- 高遠石工の歴史的背景と技術的特徴を補足した。
高遠石工の歴史と制度
起源は中世で、文治3年(1187年)に源頼朝から石細工職人の許可を得た由緒書が現存する。
1691年(元禄4年)に内藤清枚が藩主に就任し、財政難解消策として石工の出稼ぎを奨励した。
1767年(明和4年)に「他国稼ぎ御改め帳」が発行され、全国出向が制度化された。
17世紀半ばに全国で名が知られ、18世紀が最盛期である。明治以降に衰退した。
藩は石工に年1貫文(千文)の運上金納付を義務付け、主要収入源とした。
報酬は8日で金1分、32日で金1両と定められ、山間部農家の二男以降の男子が農閑期に旅稼ぎを実施したことが背景にある。
技術・材料・代表的作品
深く彫る技法により文字碑は風化に強く、自然石の形状を活かしたデザインになる。
江戸時代の採掘では幅約6〜9 cmのくさびが使用され、昭和以降は約3 cmに縮小された。
「城下の青石」は三峰川と藤沢川の合流部で採取され、緑色細結晶で硬く風化しにくい。
代表的な作品は建福寺に安置された西国三十三所観音・願王地蔵尊(守屋貞治作)である。
安曇野の石像道祖神多数が高遠石工の手による。
作品は首都圏、東海、近畿、山口にも散在している。
主要人物
守屋貞治(1765‑1832)
- 68年で336体の石仏を制作した。
- 青石を好んで使用した。
- 著作に『石仏菩薩細工』がある。
- 作品は東京・神奈川・群馬・山梨・長野・岐阜・愛知・三重・兵庫・山口の1都9県に分布し、唯一西日本例として記録されている。
渋谷藤兵衛
- 守屋貞治の高弟である。
- 建福寺に延命地蔵(貞治)と柳楊観音(藤兵衛)がある。
小笠原政平
- 1796年生まれで、東春近を中心に作品を残した。
保存・普及活動
伊那市は石造物マップ(PDF 1,820 KB)を提供し、公式ホームページに「高遠石工」ページと漫画『いなぽとけ』を掲載している。
高遠石工研究センター(一般社団法人)は会長竹入弘元のもとで拓本講座を開催し、2024年6月9日に「伊北の古い石仏を巡る」見学会を計画している。
同センターは2018年3月24日にホームページを公開し、「高遠石工の石仏巡礼ガイド」を提供している。
作品分布と主要史料
作品は北は青森県、南は山口県まで、計1都18県に約1300名の石工が活動した記録がある。
最も多いのは群馬県で、次いで山梨県、岐阜県、神奈川県が続く。
主要史料は『新編武蔵風土記稿』で、天正末期に徳川家康の命で江戸城工事に従事した記録が示されている。
鳥居氏所領(1636〜1689年)に残る高遠石工の記録や「他国稼ぎ御改め帳」および守屋貞治著『石仏菩薩細工』も重要な史料である。
石仏の機能と精神的役割
石仏は集落入口に配置され、災厄除け・子孫繁栄・旅安全の民間信仰の証とされた。
当時の災害・疫病多発期に、地域の精神的支柱として機能した。
地域イベント
高遠城下まつりは9月5日に高遠町御城下通り(西高遠)で開催される。
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