2026/09/04

沖縄の右側通行から左側へ!大作戦「730」の全貌と記憶


沖縄における左側通行への切り替え「730」

沖縄県では、1945年11月にアメリカ海軍政府の指令により米国式の右側通行が導入されました。1972年5月15日の日本復帰後も、準備期間が必要であったため約6年間は右側通行が維持されました。

その後、ジュネーブ道路交通条約の「一国一交通制度」の遵守、および日本本土との統一による物流・観光・交通教育の不便解消と安全確保を目的として、1978年7月30日に全県一斉に左側通行へ切り替えられました。この出来事は「730」と呼ばれています。

切り替えの決定と準備経緯

1975年6月24日の閣議で1978年7月30日の切り替えが決定され、1977年9月20日の政令公布により法定化されました。当初は1976年の実施を検討していましたが、沖縄国際海洋博覧会の開催を優先し、1978年に延期されました。

実施日の選定にあたっては、台風などの気候条件や、子供たちへの指導訓練時間を確保するための学校行事への配慮がなされました。

実施に向けたインフラ整備と技術的対策

切り替え作業は、1978年7月29日22時から30日6時までの8時間で完遂されました。約800人の作業員と約300台の車両が動員され、信号機、標識、路面標示、ガードレール、カーブミラー、バス停位置、交差点形状などが変更されました。

効率化のため、標識や路面標示を事前に設置してカバーやテープで隠し、変更時に除去する「久高方式(カバーアンドテープ方式)」が採用されました。作業費に約19億円、県内総投資額は約400億円にのぼりました。

車両対策としては、対向車への眩しさを防止するため、一般車両のヘッドライト光軸を左側へ調整し、対策済みステッカーを貼付しました。

バス車両の更新と予算措置

左ハンドル車は、左側通行時に乗降口が道路中央となり危険なため、車両の更新が行われました。具体的には、右ハンドル新車1,019台の導入と、左ハンドル車167台の右ハンドル化改造が実施されました。

変更前の左ハンドル車を「729車」、変更後の右ハンドル車を「730車」と呼称しています。この予算として国庫補助金92億6,200万円、財政投融資63億円の計約156億円が投入されました。現在、沖縄バスおよび東陽バスが当時の「730車」を動態保存し、日曜日に定期運行しています。

広報および教育活動

「人は右、車は左」という合言葉を用いた「730キャンペーン」が展開され、TVCMに具志堅用高氏、ポスターに五十嵐元子氏が起用されました。

教育面では、幼稚園や学校での授業、独自テスト、米軍関係者への講習が実施されました。自動車学校では1978年7月から左側通行の教習を開始し、在校生には右側通行の教習も並行して行われました。

切り替え後の混乱と社会的影響

このような広報・教育対策が講じられた一方で、実施後には那覇などの都市地区で交通事故の頻発と交通マヒが発生しました。沖縄県警1,400人と全国からの応援警官3,000人が8月下旬まで誘導に従事しました。

特にバス事故が多発しました。これは、沖縄県警が感覚を混乱させるとして直前までの実地訓練を認めず、訓練不足となったことが原因とされています。

経済面では、建設業や自動車業界に一時的な「730特需」が発生しましたが、投資額の多くが本土へ逆流しました。

政治・社会面では、具体的な実施要項がないまま決定されたため、沖縄県議会が意見書を採択し政府への不満が高まりました。また、予算折衝のため上京中に脳血栓で倒れた平良幸市知事が、1978年11月に任期半ばで辞職しました。

現代に残る右側通行の痕跡

現在も、当時の右側通行に基づいた構造が一部に残っています。

  • みどり立体駐車場:入口と出口が現在の左側通行から見て逆転している
  • ホンダカーズ沖縄大平店:右折進入しづらい店舗入口位置
  • 古波蔵交差点北向け一方通行路:右側通行時のスムーズな導線のまま維持
  • 中城村伊集のバス待合所:進行方向から見えにくい配置

また、交通標識においては、「赤信号でも左折可」の標識設置数が日本国内最多となっています。